歴史と未来
歴史をたずねて。そして未来へ。
決断や信念、たくさんの出来事があり、またたくさんの想いが積み重なって、1世紀を越える歴史となりました。
1902年(明治35年)
大賀薬局の前身となる「大賀商店」として、筑紫野市二日市で創業。当時は広さ100坪ほどの店で、薬品や化粧品、酒、タバコ、食料品から衣料品まで並ぶ、現在で言うスーパーマーケットに近い業態で、創業者の大賀可壮(現代表者 大賀研一の祖父)は、従業員らとともに荷車を引いて、福岡県下はもとより佐賀県まで駆け回っていたという。

大学前支店(当時の呼び名。昭和30年代)
1927年(昭和2年)
当時の福岡市の商業の中心は川端通りであった。が、可壮は、1924年に開通した九州鉄道(後の西日本鉄道)の福岡駅をみて、天神が栄えるとの強い信念があったという。
夢かない、可壮は1927年(昭和2年)、天神町(現在の福岡銀行本店の場所)に製薬会社代理店として薬と食料品を扱う店を出店する。それより遅れること6年、目の前に岩田屋が開店、可壮の信念は正しかったことが証明されたのである。
残念ながら取引先の倒産に巻き込まれ、わずか8年で閉店に至るが、すぐに東区箱崎の九州大学前に店舗を移転、また新たなスタートを切ったのであった。

西鉄街店(昭和30年代)
1949年(昭和24年)
戦後間もなくして、可壮とその息子栄一は、天神町西鉄街(現天神コアの場所)に新たな店舗を出店。営業は朝7時半から夜12時まで、「何でも揃う店、品切れのない店、新しい品を売る店」がモットーで、当時としては意欲的な店であった。
同じ年に法人化も行い、今後大きな発展の時代を迎えることとなる。

福ビルクスリセンター(昭和50年頃)。
奥に調剤室が見える。
1962年(昭和37年)
この年、天神の中心、福岡ビルに「福ビル大賀クスリセンター」を開店。OTCと調剤を兼ね備えた、調剤薬局事業を未来に描く栄一の夢の第一歩だった。
夢半ば、栄一は病に倒れてしまうが、後を継いだ妻の昌子の手によってその夢は引き継がれ、昭和50年代までに5つの調剤薬局がオープン。そして化粧品というもうひとつの夢は、現社長の研一に引き継がれた。
1991年(平成3年)
平成という新しい時代を迎え、大賀薬局はCIの一環として、新しいロゴマークを制定した。まごころと優しさを表すハートと、医療、慈愛の象徴のクロスを重ね合わせたロゴマークは、いつしか「Heart Cross」と呼ばれるようになり、大賀薬局が目指すべき姿の指標として、今では社員全員が誇りに思う存在となっている。
2004年(平成16年)
徹底したお客様満足を実践していくためには、社員一人ひとりのスキルアップは欠かせない。色々と模索を続ける中で、現場の管理薬剤師らによる現場のための研修制度が確立した。結果的にこれが「教育の充実した大賀」の名を高めることになるのである。
2007年(平成19年)
店舗が拡大の一歩を辿る中で、明確になっていったのが、「活き活きと働く従業員こそが大賀薬局の財産であり、お客様満足を創り出す」という考え方であった。これを社内に徹底するため、この年、経営理念を「従業員満足 お客様満足」へと変更する。「お客様より従業員を前にするなんて」という声がなかったわけではない。がこの決断により、改めて全員の目指すところが再確認され、より「お客様、患者様への対応」に注力できる様になったのである。
大賀薬局はこれまでも、これからも、変わりつづけること、ただそれだけを変えません。
今までの仲間とともに、新しく加わる仲間とともに、今日から明日へ、そしてその先の未来へ。













